バルカン超特急

概要

「バルカン超特急」(原題: The Lady Vanishes, 1938)は、アルフレッド・ヒッチコックの英国時代を代表するスリラー。雪で足止めされた観光客たちが満員列車に押し込まれ、そこで“消えた老婦人”をめぐる不可解と陰謀が連鎖する。軽妙なロマンス、コメディの小気味よさ、そして一気に緊張を上げるサスペンスの切り替えが見事な一本。


あらすじ ネタバレあり

起点

  • 舞台: バルカンの架空の小国。雪崩で列車が翌日に延期され、観光客が駅前のホテルに滞在。
  • 出会い: ロンドンに帰国して結婚予定の上流娘アイリスは、騒音源の音楽学者ギルバートと衝突。一方で、物腰やさしい老家庭教師ミス・フロイと知り合う。

失踪

  • 事故の伏線: 発車前、頭上から落ちた植木鉢がアイリスの頭を直撃。軽い脳震盪を負う。
  • 列車内の出来事: ミス・フロイは窓ガラスに指で“FROY”と書いて自己紹介。食堂車で特別な紅茶を勧め、アイリスはうとうとする。
  • 消える老婦人: 目覚めると、向かいにいたはずのミス・フロイがいない。だが同じ車両の乗客は誰も“そんな老婦人は見ていない”と主張し、アイリスは頭部打撲による幻覚扱いされる。

陰謀

  • 協力者: 唯一、ギルバートだけがアイリスを信じ調査に同行。二人の距離が縮まっていく。
  • すり替え: 医師ハーツや不倫関係を隠したい英国人夫婦、クリケット命の男たちなど、乗客たちはそれぞれの事情で“見ていない”と言い張る中、途中で“彼女がミス・フロイだ”と名乗る別人まで現れる。
  • 真相の核心: ミス・フロイは英国のスパイで、重要情報を“民謡風のメロディ”に暗号化して記憶していた。彼女はハーツらの一味に拉致され、全身包帯の“患者”に偽装されて車内に隠されていた。

クライマックス

  • 暗殺未遂: ハーツはアイリスとギルバートに睡眠薬入りの飲み物を与えて口封じを図るが、ギルバートは怪しみ難を逃れる。
  • 銃撃戦: 線路が軍の待ち伏せ地に切り替えられ、列車は停車。武装した一味が迫る中、英客たちは一致団結して応戦。躊躇する者もいるが次第に士気が高まる。
  • 離脱: その前にミス・フロイは二人に“旋律”を伝えて単独脱出。味方に寝返った修道女が決定的な助力をし、列車は包囲を突破して走り出す。

結末

  • ロンドンでの再会: 外務省に駆け込んだアイリスとギルバートは、緊張でメロディを思い出せず青ざめる。だが、すでに到着していたミス・フロイがピアノで旋律を奏で、機密は無事英国側へ。
  • 余韻: 危機を乗り越えたアイリスとギルバートは、皮肉にも列車内の事件を通じて固い絆を得る。彼女の“帰国したら結婚”の予定は、運命の相手との出会いで静かに書き換えられる。

主要人物

  • アイリス・ヘンダーソン: 結婚を控えた上流階級の若い女性。失踪の唯一の目撃者として真相を追う。
  • ギルバート: 音楽学者の英国青年。皮肉屋だが芯は義侠的。旋律=暗号を理解できる鍵となる存在。
  • ミス・フロイ: 一見ただの老家庭教師。実は英国の情報員で、機密をメロディに託して運ぶ。
  • ハーツ医師: 上品な仮面を被った陰謀側の黒幕格。医療と権威を武器に口封じを図る。
  • 英国人乗客たち: 不倫を隠したい夫婦、クリケット狂の二人組など。利己心から“見ていない”と嘘を重ねるが、やがて連帯に転じる。

キーとなる仕掛け

  • “見ていない”の圧力: 目撃証言を集団で否定させ、被害者を“頭の怪我による妄想”に追い込む心理戦。
  • 身元のすり替えと包帯患者: 本人を隠して“偽のフロイ”を用意し、証言の基盤を揺さぶる。
  • 音楽の暗号化: 言語の検閲を回避し、メロディとして機密を運ぶ発想。音楽学者のギルバートが相棒として機能する必然性を生む。
  • 高揚する連帯: 私的事情で沈黙していた“英客”が、銃声の前に面子を捨てて戦う転換がカタルシスを生む。

見どころ

  • ジャンルの自在な切替: ロマンチック・コメディの軽さから、ミステリー、スパイスリラー、ガンアクションまで滑らかに移行するテンポ。
  • 列車という密室: 逃げ場のなさ、車両ごとの場面転換、窓ガラスの文字“FROY”など、空間の使い方が巧み。
  • 英国性のアイロニー: 利己心と体面に縛られた乗客たちが、最後は不器用に勇気を振り絞る。笑いと皮肉のバランスが絶妙。
  • ラストの安心感: 旋律が鳴り、老婦人も生還。緊張を張り詰め続けた物語が、音とともにほどけていく終幕が美しい。